復興の中で安否を知らせた年賀状

使われなかった「年賀はがきの 取扱開始」のポスター

終戦を迎え、やっと平和が戻った1945(昭和20)年8月。しかし、米軍の進駐などで社会の混乱が続き、戦災で郵便網が寸断されていたので郵便制度がなんとかまともに機能するのは年末も近づいた頃です。そのため、翌1946(昭和21)年の正月には、年賀状はほとんど見ることができませんでした。この年、興味深いのは、これまで絵はがきにしか許されていなかった表面下部の通信文記載が、官製はがきでも認められたことです。これは、なにより物資の欠乏と、経済的窮乏から、封書よりも安い、はがきをより有効に使うためでした。戦災でばらばらになった人々や、中国などから引き揚げてきた人々が、お互いの安否を知らせ、確かめるため、細かい字で表裏びっしりと書き込まれたはがきが行き交ったのでしょう。まだ、年賀状どころではないという状況がつづいていたのです。
そして、この年の年末になると、世の中も多少落ち着きを取り戻し、いくらかは年賀状が復活します。年賀郵便の特別取扱は再開していないものの、窮乏生活の中でも、年賀状を交換する人々もいました。しかし、それも、新年を祝うというより、お互いの生存を喜び合うという意味の方が強かったからに違いありません。

復活した年賀郵便制度

「年賀特別郵便取扱開始」 のポスター

年賀郵便の特別取扱が再開されるのは、1948(昭和23)年です。世の中にもやっと復興ムードが漂い、人々にも年賀の気持ちを持つゆとりも出てきたのです。年末の郵便取扱量の増加が予想されたことから、郵政省はこの制度の復活を決定しました。もっとも、この年の取扱量は、戦前のピーク時の半分にも至っていません。
戦後の年賀状が飛躍的に増え始めるのは、この翌年から。実は、一市民が発案したあるアイデアがきっかけになったのです。