戦後年賀状のトレンド
年賀状の歴史
年賀状増加に伴うさまざまな改革
お年玉くじ付き年賀はがきの登場以来、増え続ける年賀郵便に対応するため、1960年代以降、さまざまなシステム上の改変が行われます。
まず、1961(昭和36)年には、年賀郵便の消印が省略されます。はがきの額面表示の下に、消印に模した丸表示を印刷した今ではおなじみのスタイルは、ここから始まりました。
1968(昭和43)年7月には、増加する郵便物への対応と配達のスピードアップをねらって、郵便番号制度が導入されます。これに合わせ、年賀はがきの表面にも郵便番号枠が加わります。むしろ、この年の年賀状によって、郵便番号が国民の中に定着したと言ってもいいでしょう。
宛先の郵便番号だけでなく、自分の住所の郵便番号を必ず書くよう推奨したことで、相手に知らせる役割も果たしたのです。
多様化する「年賀状」文化
1975(昭和50)年前後には25億通を超した年賀状は、その後多様な発展を見せます。
乳児や幼児まで含めても国民1人あたり25枚以上の年賀状を出す計算になるわけですから、その労力も相当なものです。仕事などで忙しい人には、その時間をつくること自体、努力が必要になります。ところが、そんな人に限って出す枚数が多いのです。そこで、1979(昭和54)年頃から、官製はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷がさかんになります。
以前から、はがきなどの簡易印刷はありましたが、デパートやスーパー、文具店などで、好きな文面や図柄を選んで簡単に申し込め、しかもお年玉つきの官製はがきで出せることから、大きな人気を呼び、現在に至っています。1982(昭和57)年からは、郵政省も寄付金付きの年賀はがきを絵入りにしています。
1989(平成元)年には、はがきだけでなく、年賀切手にもくじつきのタイプが発行されるようになります。80年代に入り、次第に年賀切手の需要が伸びたことが大きな理由で、写真年賀状の普及も背景にありました。これを機に写真の印画紙に、家族などの写真と賀詞をいっしょに現像したはがきが急増します。
それ以降、目の不自由な方への対応や、パソコン印刷への対応など、官製はがき自体もさまざまな多様化の道を進んでいます。
年賀状文化の未来
平成に入っても増加を続けた年賀郵便は1997(平成9)年の約37億通をピークに、停滞ないし微減傾向が続いています。これは、景気の長期低迷が続いたことや、インターネットの普及で電子メールがさかんになったことなど、さまざまな理由が考えられます。しかし、現在でも国民1人あたり約35通の年賀状が出されています。
ここまで見てきたように、年賀状は、長い日本の伝統を背景に、日本の民衆自身が育ててきた文化です。一方で、第二次大戦時の激減が物語るように、平和な世が続くことの証しでもあります。
互いの息災に感謝しつつ、自分や家族や友人たちの1年の健康と幸せを願う年賀状。ぎすぎすしたことの多い時代にこそ、そんなやさしさを失わない年賀状の文化を、守り、発展させていきたいものです。