郵便制度誕生

国際年賀状 逓信総合博物館所蔵

明治維新は、あらゆる面で、欧米にならった近代化が怒濤のように行われた時期です。通信に関しても、ヨーロッパを手本とした仕組みが急速につくり上げられました。
旧幕臣でありながら、その能力を買われ、新政府の要職についた前島密は、駅逓権正(えきていごんのかみ・水陸運・通信を司る長官)として通信交通制度の改革に取り組みます。

1870(明治3)年には郵便事業の創業を建議。その後、洋行のため、いったん職を離れますが、行先のイギリスで世界で最も進んだ現地の郵便事業をつぶさに見て回ります。71年、日本に帰ると、その経験を生かし、再び中心となって日本の近代郵便制度の発足に尽力しました。当初は、東京・京都・大阪間だけでしたが、翌72年には郵便の全国網をつくりあげ、さらにその翌年には、全国一律料金という現在まで続く郵便制度を確立し、郵便役所(郵便局)、郵便差出箱(ポスト)が全国津々浦々にできて行きます。
1885(明治18)年には、農商務省から駅逓局、管船局、工部省から電信局、燈台局を引き継いで、通信・交通全体を統括する中央省庁、逓信省が設立されます。この頃には、日本国民の間に、郵便が定着したと考えられます。

はがきの登場

はがきの登場は、年賀状の普及に多大な影響を与えました。
それまで日本の手紙には、はがきという形態は存在しませんでした。しかし、イギリスの郵政事情を見てきた前島密には、当時、ヨーロッパで急伸していた低額の簡易郵便「ポストカード」が、国民への郵便定着への決め手となるという読みがあったのです。郵便事業が創業した2年後の1873(明治6)年には、すでに「郵便はがき」を発行しています。
日本の郵便はがきの登場は、世界と比べても遅いものではありません。世界で初めて郵便はがきが始まったのは、1869年のオーストリア・ハンガリー帝国です。前島がお手本としたイギリスも、70年に始まったばかりでした。

 

2つ折りはがき 1875(明治8)年 通信総合博物館所蔵

とはいえ、カードという形に抵抗があったのか、日本で最初に発行された郵便はがきは、縦に2つに折り、その内側に通信文を書く形式でした。片面には「他見ヲ憚(はば)カラス又上包ヲ要セサル短文通ヲ低税ニテ往復ノ便宜ヲ開クヘキ為メ之ヲ各地郵便役所及ヒ取扱所ニテ可売下事」などの断り書きが印刷されています。「他人に見られる可能性はあるけれども、そのぶん安い」というわけです。
そして、これが、日本の伝統的文化として広まっていた「年賀の書状」と結びついていきます。